前川 秀和(マエカワ ヒデカズ)
税理士(登録番号:128512)
前川秀和税理士事務所 代表
茨城県水戸市出身、東京都中野区在住
1973年6月19日生まれ
水戸第一高等学校(平成4年卒)、成城大学経済学部経済学科卒業(46E)
2児(長男、次男)の父
趣味:音楽、仮面ライダー
基本、スーツは着ません
1995年より現在に至るまでMacユーザー(2018年、初めてWindowsマシンを購入)
当サイト以外にも、個人ブログをやっています。(個人ブログ『そしてきみの税理士は歌うことができる』:https://www.hmj-blog.com/)
クラウド会計など、各種インターネットサービスを活用した経理業務の効率化や、節税対策、予算管理、納税予測などを通して、お客様の夢への挑戦をサポートいたします。
お客様がやりたいことに集中して取り組めるよう、そして、その仕事や活動(あるいは趣味)を続けていけるように、事業運営や税金に関する不安を取り除くことを使命としております。
freee認定アドバイザー、MFクラウド公認メンバー、弥生PAPパートナー
会計事務所勤務時代の11年間から現在まで、法人・個人事業主を問わず、
IT関連企業、デザイン業、服飾関連、卸売業、画廊、旅館業、旅行業、学習塾、不動産業、飲食店、内装業、造園業、建設業、弁護士、経営コンサルタント、ゲームクリエーター、デザイナー、映像制作、アーティスト
など、様々なジャンルのクライアントを担当してきました。
学歴・職歴などについて
大学では美術部に所属しつつも、バンドを組み、ライブやレコーディングに励んでいました。
アルバム1枚、シングル1枚を残すも卒業前に解散。
その後に組んだバンド『pello』では、少年ナイフ主催のライブで渋谷クワトロのステージに立ったこともあります。
↑大学時代に組んだmosquito coast(モスキート・コースト)のLPと7inchシングル
大学卒業後
バンドを続けていくため、就職活動は一切せず、大学卒業後は、学習塾やコールセンター等で契約社員を続けていました。
コールセンターでは、某コンピュータメーカーやインターネットキャリアのバックオフィス業務に従事。某コンピュータメーカーを担当していた頃は、オペレータとしてお客様対応の最前線にいたこともあります。クレームにたくさん触れたことは、貴重な経験となりました。
その後、バックオフィス業務に異動となり、クレームから解放されたことに少しホッとしたのもつかの間、間接的ではありますが結局クレーム対応は続きます・・・
お客様対応最前線のオペレータと修理工場との板挟み状態を経験し、調整役としてのスキルを磨き上げることに。
また、ExcelやAccess、その他のデータベース管理ソフトに触れることができたこと、多くのMacマニア・PCマニアの方々と出会えたことは、かけがえのない財産となりました。
その後、税理士を目指すべく、2年間の受験専念期間を経て、吉祥寺の税理士事務所に入社しました。
My History 〜私が税理士になるまで〜
私が税理士を目指し、勉強を始めたのは、2002年の秋頃だったと思います。
音楽が大好きで、バンド活動をしながらできる仕事を選んだつもりが、いつしか日々の生活に追われ、年齢を重ねていくことへの不安ばかりが増していきました。
今思うと当時の私なんて全然若かったと思うのですが、老けて見られることが多かった(?)ことなどから、それまでの人生において「自分は若い」と思って過ごしたことは一瞬たりともありませんでした。
また、浪人も経験していたので、年下が同級生だったりとかして、自分を「若者」としてとらえることが難しくなっていました。
そんな今思うとつまらない「年齢を重ねていくことへの不安」により、私は税理士への道へと導かれるのでした。
(最近は冗談で「音楽の夢破れ、税理士の道へ」と自己紹介したりしています)
なぜいきなり税理士を目指したのか?
それは、ただ単に手に職を付けたかったのかも知れませんし、ただ単に受験資格があったからなのかも知れませんし、両親が自営業だったため税理士という職業が身近にあったからなのかも知れませんし、公認会計士の勉強をしていた友人に触発されたからなのかも知れません。
いずれにせよ、税理士を目指し勉強していく中で、徐々にどっぷりとその勉強にハマっていきました。
大学受験のための勉強をサボりまくっていたあの頃を取り戻すべく、かなりの時間を税理士試験のための勉強に費やしました。
税理士試験のための勉強は、スポーツの練習的要素が多分にあり、反復練習や暗記が必要であるため、練習時間をたっぷり確保する必要があります。
言い訳にはなりますが、人生におけるいくつかの節目や重要な出来事があったため、最後の1科目で数年足踏みはしてしまいましたが、5科目目を2013年に合格し、晴れて税理士になることができました。
その「人生におけるいくつかの節目や重要な出来事」の知らせを聞いたのも、毎週日曜日の丸一日を使って行われる専門学校での授業中のことでした。あまりに何回も携帯電話が震えるので、授業中の教室を抜け出し、電話に出てみるとその報告だったのを覚えています。
簿記に驚く
29歳にして初めて簿記を学び、あることに気付き、とても驚いたことがあります。
それは、「企業は金儲けのことしか考えていない」ということです。
ちょっと言い方が悪かったかも知れません。
「企業の目的は利益を追求することである」の方が、正しいでしょうか。
そのことを前提として、簿記の問題は作られていました。
今思うと当たり前なのですが、青臭いアーティスト的思考しかない当時の私には、とても衝撃的な事実でした。
あまりにウブなバンドマンだった当時の私に説教してやりたいです。(いや、今も青臭いかも知れません・・・)
また、複式簿記がよくできた仕組みであると気付いたことも、驚いたことの1つになります。
そして、独立へ
税理士の勉強をしていた間、試験勉強だけをしていたわけではありません。
税理士事務所に勤めていました。そちらには11年間お世話になりました。
居心地のいい職場でしたが、税理士を目指した理由のひとつに独立できる資格であったことと、サラリーマンにはなりたくないというロック的(??)なアティテュード、というより親が自営業だったためサラリーマン的生活に対してイメージも耐性もなかったせいか、独立したい意識はずっとありました。
そして、2016年に独立しました。
学生時代の思い出を少し
・小学生
映画
小学6年生の時の夢は、映画監督になることでした。
父親のビデオカメラを借り、クラスの男子全員集めて、映画を作ったりしていました。
スピルバーグやスタローンが映画製作において複数の役割を担っていたのにあこがれ、脚本、監督、撮影、編集、ときには出演など、全部自分でやっていました。
要するに、自分の趣味にみんなを付き合わせていたということでしょうか。
内容は、今振り返るとひどいもので、ほとんどの作品は闘いもの、たまにホラーものって感じです。
闘いものに関しては、必ずと言っていいほど、「①最初に主人公の仲間が悪者にさらわれ、②その事実を知った主人公は仲間を助けるためトレーニングして鍛え、③そして敵の陣地に乗り込み仲間を救出する」というストーリーです。
随分あとになってその事実に気づいたのですが、数本作った作品のどれもがそのストーリー構成で、あきれます。
また、ストーリーの背景もその直前に観た映画に完全に影響されていて、あきれます。
ある3部作の3作目などは、その直前に観た『北斗の拳』の映画に感化されまくり、対立する拳法の流派の抗争みたいな内容になっていました。
(もちろん、「仲間がさらわれて、トレーニングして、敵陣に乗り込み救出する」、というストーリー展開は同じです。)
コンピュータ
ときはマイコンブーム。
その時期、コンピュータにもあこがれ、『ぴゅう太』や『PC8801 MKⅡ FR』といったマシンを手に入れました。
しかし、やっていたのは、ゲームと簡単なプログラミングくらいで、完全に宝の持ち腐れでした。
・中学生
当時結構多かった洋楽音楽番組が何よりも楽しみでした。
この頃は、マイケル・ジャクソン、ジョージ・マイケル、ビートルズに特にハマっていました。「マエカワ・ジャクソン」「ジョージ・マエカワ」などと、自分の芸名を密かに考えたりも。
あとは、卓球。
ミュージックビデオやライブ映像同様、ワルドナーVS江加良(ニューデリー世界大会)の決勝戦をビデオテープが擦り切れるほど観ていました。
頼まれやすい性格のせいでしょうか、卓球部キャプテンや生徒会長などを経験。
卓球部キャプテンなどは、私がいないところで決まっていて、知らされたときはとても驚きました。
・高校生
バンドがやりたくて軽音楽同好会に入部。
ビートルズのコピーバンドがやりたかったのですが、一緒にバンドを組んだ仲間を説得することができず、それは叶いませんでした。
部室で私が当然のごとくジョン・レノンのようにギターを高い位置でかまえると、「ギターの位置、高過ぎ!」ということで、友達はみんな大爆笑。
それが少しトラウマになってしまい、その後のギタリスト人生において、ずっと「ギターの位置」に悩むことに。
1年生のときの学園祭では、ヨーロッパの『ファイナル・カウントダウン』を演奏。(私はギターでした。)
それがまったく受けなかったため、その後のお好み焼き屋さんでの反省会において、当時のバンドブームに乗り、日本のバンドのコピーをすることを決定。
メンバーにキーボードがいたため、キーボードが入っているようなバンドを選んだ結果、ユニコーンや氷室京介のコピーバンドをやっていました。
3年生になると、ヘヴィーメタルに目覚め、スキッド・ロウのコピーバンドに方向転換。
髪を伸ばし始め、ライダースジャケットも買いました。
・大学生
浪人を経て大学に入学。
一人暮らしを開始。
東京にはレコード屋さん(CDショップ)がたくさんあって、とても興奮しました。
(今はストリーミングサービスがあるので、どこにいても興奮できます。)
バンドはやりたかったのですが、当時は軽音楽部に入ってバンドを組むことはカッコ悪いことと思っていました。
(今は別にどこでどう組もうがいいと思っていますが、この頃は何かドラマチックな出会いを欲していたのかも知れません。)
入学してしばらくフラフラしていたのですが、居場所を求めて美術部に入部。
そこでドラマチックな出会いがあり、バンド「モスキート・コースト」を結成。
下北沢でよくライブをしていました。
そして、このバンドでCDデビューも経験しました。
好きなもの
- 音楽、映画
- 仮面ライダー(特にドライブ、フォーゼ、ダブル、電王)
- IKEA、無印、桃太郎ジーンズ、サマソニなどで買うロックTシャツ
- Apple
- エシャロット、ネギ、ミョウガ、生野菜、納豆、牡蠣、白米(苦手な食べ物は、牛乳と脂身)
- 散歩
- 昼寝
- 南の島のビーチ
- 自由
愛用のガジェット
- MacBookPro 15inch
- iPad Pro 11inch
- Surface Laptop
- iPhoneXS Max
- iMac
- Kindle Fire HD 8
- Kindle Paperwhite
- SHURE SE215 Special Edition
- Casio Databank
- AppleWatch
好きなミュージシャン
- at the drive-in
- yo la tengo
- Pavement
- Built to spill
- Superchunk
- Velvet Underground
- weezer
- New found glory
- Beatles
- Strokes
- Flaming lips
使用ギター
- Gibson J-45
- Fender Mustang
ストレングスファインダー 上位5つの資質
- 戦略性・・・いろいろなものが乱雑にある中から、最終の目的に合った最善の道筋を発見することができる。先を読み、起こる可能性のある障害の危険性を正確に予測することができる。
- 内省・・・考えることが好き。頭脳活動を好み、脳を刺激し、縦横無尽に頭を働かせることが好き。
- 成長促進・・・ほかの人たちが持つ潜在的な可能性を見抜く。ほかの人と互いに関わりを持つ時、目指しているのは彼らに成功体験をさせること。
- 運命思考・・・人々が互いに結びついていると、心の底から知っている。思慮深く、思いやりがあり、受容力がある。異なる文化を持つ人々の間で架け橋の役割を果たす。みえない力を敏感に感じ取り、平凡な日常生活の中に意味があるという安心感をほかの人に与えることができる。
- 共感性・・・周囲の人の感情を察することができる。彼らが感じていることを、まるで自分自身の気持ちであるかのように感じることができる。本能的に彼らの眼で世の中を見ることができ、彼らの見方を理解できる。
(『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう 新版 ストレングス・ファインダー2.0』より)
おすすめのレストラン
- なかよし
- 大忍
- 東京油そば本舗
- 丸山
- Woof Curry
- カッパ
- 松屋
- ピザか屋
行ったことがある国や地域
- ニュージーランド(初めての海外)
- グアム(ファストフードのドリンク飲み放題。タコベル。)
- 中国(北京。小籠包。四川料理が辛くて驚く。)
- インド(衝撃。シタール購入、持ち帰るの大変だった。)
- イギリス(ロンドン。Mogwai主催のオールトゥモローズパーティ。)
- モルディブ(クラブメッド)
- シンガポール(空港がすごい)
- マレーシア(クラブメッド)
- タイ(プーケット、クラブメッド)
- 韓国(ソウル。友だちの結婚式。)
- 北海道(松山千春)
- 青森(港)
- 盛岡(わんこそば。東北新幹線開通の年。)
- 秋田
- 仙台(牛タン。弟が学生時代に住んでいた。)
- 宇都宮(餃子が美味しい)
- 日光(遠足)
- 那須(サファリパーク)
- 熱海
- 箱根(ジョン・レノン、ヨーコ・オノ、ショーン・レノン)
- 和歌山(南紀白浜)
- 大阪(梅田のネギ沢山の立ち食いたこ焼き。USJ。)
- 奈良(修学旅行)
- 京都(修学旅行)
- 広島
- 神戸
- 徳島(阿波踊り)
- うどん県(3件はしご)
- 萩(湯呑み購入)
- 博多(妻の親戚。B級グルメが最高。)
- 長崎(妻の親戚。魚が美味い。)
- 沖縄(大好き。行きたい、何度でも。ルートビア。いつか移住。)
- 久米島(台風)
- 奄美大島(土盛海岸。行きたい、何度でも。)
- 石垣島(クラブメッド)
- 新潟(後輩。日本酒。)
- 猪苗代
- 草津
- 別府(赤い池。猿が怖かった6歳の夏。)
- 長瀞(デイキャンプと美味しいかき氷)
- いわき(Hawaii)
- 川越(次男をレッドアローに乗せるために)
- 小田原城(次男をロマンスカーに乗せるために)
※首都圏や自分の出身地周辺は除きました。
住んだことがある場所
- 茨城県水戸市
- 東京都東久留米市
- 東京都世田谷区代田(世田谷代田駅、新代田駅)
- 東京都狛江市(和泉多摩川駅)
- 東京都杉並区永福(西永福駅)
- 東京都中野区弥生町(方南町駅)
- 東京都中野区某所(某駅)
出場したマラソン大会
- 勝田全国マラソン(2020,1.26、途中棄権)
- 古河はなももマラソン(2018.3.11、完走)
水戸黄門漫遊マラソン(2018.10.28、出場予定)ケガのため棄権湘南国際マラソン(2018.12.2、出場予定)ケガのため棄権
よく老けて見られていたエピソード
突然ではございますが、学生時代によく老けて見られていたエピソードを。
エピソード1
中2か中3のときだったと思います、丸井に洋服を買いに行ったときのことです。
お会計時、話の流れで私が中学生だと言うと、店員さん(女性)は後ろにのけぞりながら大きな声を出して驚いていました。
大学生だと思っていたようです。
エピソード2
高校時代、学校が終わってから床屋さんに行くと必ずこう聞かれました。
「今日はお仕事お休みですか?」
そのたびに、「あ、高校生です」と答えていました。
このやり取りのパターンは大学生になっても続くこととなります。
完結編
そしていつの間にか、年齢も見た目に追いつき、今は年齢より老けて見られることはなくなったと、自分では思っています。思いたい・・・